Fly High!! ~ 彼らのStory ~

バレーボール男子応援ブログ

■夢をこの手につかむまで  総括2

ようやく1週間経って、平常心が戻ってくる。
ジェットコースターのように感情が動いて、たくさんのことを考えて、たくさんの言葉を綴った。


比較的、オンタイムで書いて来たので、感情がほとばしりすぎたところも。
ま、あとで読み返すと、恥ずかしかったりもするのだけれど、それも一興。
あの時、こんなことを思ってたんだな、と時間が経ってからも感じることができるから。


今の全日本男子のチームではリオオリンピックに行くことはできなかった。

彼らがオリンピックでどんな戦い方をするのだろうと思ってたから、それを見れないことは残念だけど、 石川くん、柳田くんや若いプレーヤーにとって、世界を相手に戦っていくことは変わらない。
東京オリンピックに向けて新しいチームを作って、4年という時間をかけて熟成させていって欲しいと思う。


もっともっと、彼らが躍動しているところを見続けたいな、と思ったよ。
4
年なんてきっと長いようであっという間。

彼らが、夢をその手につかむまで、追いかけようと思います。
強くなっていくその姿を見続けたいな、と思います。

また、はまっちゃったよ、私。

世の中には罪作りな男子が多すぎて困ります。 
真剣勝負をしてる人たちは本当にかっこいいねぇ。

というわけで、来週は大阪ですw。 
アイスショーの合間にワールドリーグを見てくるつもりです。 

 

 

とりあえず、このシリーズはおわり、、多分。

■夢をこの手につかむまで  総括1

OQTを追い続けたこの1週間は、壮絶だった。
心をどこに置けばいいのか、迷いながらの1週間。

今もその余韻は心にも身体にも残っている。
(体重1Kg以上も減ったw
何が起こるか分からないとは思っていたけれど、こんなにも自分の心に爪痕を残すとは思わなかった。

ワールドカップでの全日本男子の活躍を見てから、この時間をあまりにも待ち続けた
彼らがOQTで活躍して、オリンピックに向かう姿を勝手に想像してた。
彼らにとって苦しかったと思うのは自分の「夢」がいつの間にか、多くの人のそれになっていたことなのかもしれない。

結果、思いは成就しなかった。


最後に、バレー観戦を通じて感じたことを、いくつか。

私のように初観戦だった人も多かったんじゃないかな、と思う。
試合の感じ方っていくつかの側面があるのだと思う。
勝って嬉しいもあれば、いい試合だったから(負けでも)よかったとか、目の前で見たものがすごかったという感想をもつとか。

その競技を始めて生で見るとこの3つ目の感想が間違いなくやってくる。

勝ち負けに関係なく、ライブの臨場感、音や、空気、そして立体感というか質感がTV観戦とはまるで違う。
その凄さにたいてい圧倒されることから始まる。
(これは本当に初期にしか味わえない感覚だと思う。もう、フィギュアを現地でみても私にはこういう感情は湧かない。逆に、TVで見る薄っぺらさが耐えられなくなるw

だから、試合の結果や、その時のチーム状態とは別に、目の前で起こっていることに感動するということがある。
私にとっては最初のベネゼエラ戦の試合はまさにそんな感じだった。

冷静に分析なんかできないよ。

会場のショー的な空気に圧倒され、ふりを覚えるのが苦手な私が、ジャニーズの歌に振り回され(大人は覚えが悪いんですw)、カメラを持っていくも、どこで活用していいか分からず、目の前のことしか見えないようなそんな感じだった。
コートは思ったよりも小さいなとか、あんなスピードのボール当たったら痛いよとか、そんなことを思いながら。

初生観戦の洗礼を浴びまくっているうちに試合が終わっていた感じ。

あと、不思議なことが一つ。

会場で見たとき、このチームに何か違和感を感じてて。
あのワールドカップの時と、違うな、って。
でも、帰ってきてテレビで見ると、何だ、変わんないな、と思えたり。


後で気づいたのは自分が意識して情報を仕入れているかにかかわらず、会場に行くとテレビが切り取らないものが見えてるのかもしれないな、と。
だから、テレビを見て感じないことも、会場に行くと、感じるのかな、と。

これはどの試合をみても同じだった。

会場で感じたことは、テレビを見ても同じような感想にならなかった。
そこはまだ、何か不思議に包まれた感覚のままです。

 

あとは相手のあるゲームは多かれすくなかれ、自分たちのやりたいことをやると言うよりは、相手のいいところを消すという作戦が必要なのかな、と感じたりもしました。
これからもっと見続けたら、そこはわかるようになるかもしれないけどね。

今回は4試合を見に行って、1回だけコートエンドで試合を見たんだけど、これが一番、面白かった。
縦に試合を見るので、わかりにくいところもあるんだけども、セッターの動きとか、動きのある攻撃とかで、人の動きが目に入りやすくて、面白かったです。
どの場所で見るかによっても感じ方が違うんだなを経験できてよかった。

 

つづく。

■夢をこの手につかむまで その6

6戦。
カナダ戦。

この試合をどう見ればいいのか、正直、自分にとっては悩ましい状況だった。
後で録画を見直そうと思ってるけれど、いまは思い出せない。


7戦。
フランス戦。

東京体育館での最後の観戦。
現地で4戦も見ちゃった。

初日に来た時にはこんな気分で試合を見ることを想像できなかった。
消化試合になる可能性があることは想定していたけれど。

この試合には石川くん、柳田くんは出ないという前評判だった。
それでも精一杯応援すると私は決めていた。
このチケットを取ったのは、確かに石川くん、柳田くんを見たかったから、残念な気持ちがなかったと言ったらウソになるけど、この激戦を見続けるうちに、最後までこのチームを応援したいという気持ちになっていたから。

試合に負けて、オリンピックに行けなくても、彼らのバレー人生は続く。
この試合を乗り越えて、行かなければ次に進むこともできない。

観戦する人は興味がなくなれば、その世界から簡単に離れることができる。
どんなに思い入れが強くても、ある日、その世界をなかったことにできる。

選手はどんなに理不尽なことがあったとしても、代表に選ばれるような選手が、その世界から簡単に遠ざかることは難しい。
だから、消化試合だろうと何だろうと、選ばれたらそこで、できることをするしかないんだよ。
そんな苦しい試合に出ざるをえなかった人たち、その試合をする人たちに少しでも支えている人がいるということを伝えたいという気持ちだったのかもしれない。

この日は私はスティックバルーンを持っていかなかった。
選手を応援したい気持ちはあったけど、あの雰囲気の一部になりたくはなかったから。
この試合にあの応援はなじまないとそう自分で判断していたから。
観戦をどうするかなんて、自分が選択していいと思っている。

空気に流される必要はない。
その結果、自分が居心地が悪くたっていい。
そんな自分の心をかき乱したのは、柳田くんがスタメンで出る予定だというニュースだった。
出なくていいよ、ともちろん思ったよ。 
見れなくて残念なんて、行く前から思わなかったよ。 
だから、なぜ、柳田くんはこの試合に出ようと思ったんだろう、と考え始めた。 
もちろん答えは本人にしか分からない。

強硬出場させるな、という論調も多かったね。
ここで無理する必要があったんだろうか?ともちろん思うよ。
でも、身体への負担や傷の痛みと、心にしごりを抱えたまま次のステージに行くのがいいのかという葛藤の中から何を選ぶか決めたのかもしれないね。

この連戦を通じて、私はより柳田くんという選手を好きになってた。

どちらかというとクールなイメージで、淡々としているように見える彼は、ハートが強くて、勝負どころで芯がぶれない。 
クールに見えるけど、心の奥には静かな闘志を秘めていて。
石川くんは感情が表に出るタイプで魅力も分かりやすいけど、柳田くんはじわじわとその魅力が伝わってくるタイプなんだろう、と。
この苦しい戦いを自分のたちの世代で締めくくって、次に繋げるために、かれは敢えて自分がそのコートに立つと決めたんじゃないかなとか、いろいろ考えた。

この試合で私は関田くんにも興味を持った。 
深津さんとは違うタイプのセッター。 
ミドルをうまく使うんだな、、とぼんやり思っていた。
あまり誰かにトスが偏らなくて、満遍なく、いいタイミングであげるなと感じたことと、トスが高めで綺麗だった。 
それはリベロが酒井さんに変ったことも遠因だったのかもしれないね。

彼らの活躍を見れたから、現地に行ってよかった。

この試合にどんな意味があったのか。 
フランスチームは控えだったから勝てて当然、と思われて勝てなかったらどうだったんだろうか?

柳田くんは3セット目は足元もバタバタしてたし、清水さんもあまり跳べてる感じに見えなかった。 
戦力を落としたフランスに勝っても意味ない、と言ってた人たちもたくさんいたけど、彼らが、この試合を3セットで終わらせたことに意味があったんじゃないの?と私は思う。

試合が終わった瞬間、今回、一緒に観戦した仲間と抱き合った。 
決して、勝利が嬉しかったからじゃない。 
喜んだけど、勝って嬉しいとはちょっと違う気持ち。 
この辛い戦いが終わってよかったね、という安堵感。

今は苦しくて、苦しくて仕方がないかもしれないけど、もう、その傷ついた脚で跳ばなくていい。

本当にお疲れさまでした。 

オリンピックの切符を手にする戦いは本当に壮絶だったね。 
見てる方も苦しかったから、やってる人たちはもっと苦しかったと思う。 
楽しそうにバレーをしていたメンバーから笑顔が消えた。

それが勝負の世界なんだよね。

次のオリンピックにOQTはない。 
東京オリンピックに向けて彼らはどこへ向かっていくのだろうね。



つづく

 

【雑感】スポーツ観戦に正しい姿はあるのか? - True or False-  その2

私にとってバレーボールはテレビ観戦する競技だった。
テレビの前に陣取ってみるのが習慣で。
カーリングと一緒で男子よりも女子の方が活躍している見えるスポーツだった。
ワールドカップを見るまで、日本は高さのある外国人に勝てないスポーツなのかと勝手に思っていた。

石川祐希と柳田将洋。


彼らが私のイメージを一新させた。

ふたりの若者はコートの上で楽しそうにプレーをしながら、高い壁をすり抜けけてスパイクを決める姿や
サーブで相手を吹っ飛ばすシーンが今でも鮮明に思い出せる。


この子たちはいったい何者なの!が最初の感想だった。


試合を追い続けた。
彼らの躍動する姿に、世界を相手に物怖じしない戦いぶりに、驚嘆した。
彼らがイケメンだったからではない。


そりゃ、もともと競技のことを深く知っている人から見たら、彼らよりもっと上手い選手も、代表に呼ばれるべき選手もいるのかもしれない。
でも、私を惹きつけたのは彼らだったんだよ。
いままでテレビで見てた選手とは何かが違ったんだよ。


もっと、もっと、プレイを見たくて、大学の秋季リーグを見に行った。
生で見た世界はやっぱり、テレビで見るものとは全く違ってた。
だから、全日本の試合を生で見たらきっともっと違うんだろうから、見てみたい!とOQTのチケットを取ることを決めた。


OQT
がはじまるまで過去の映像を探しまくったり、月刊バレーボールを定期購読したり、MOOK本を買いあさった。
それは彼らの魅力がどこから出てくるのかを知りたかったから。


素人から見て、彼らのプレーが魅力的だったんだよ。
だから、たくさんの人が惹きつけられた。
もっと彼らを見たいと思った気持ち、とってもよく分かる。


私も、そういう人たちもこれからたくさんの試合を見ていく中でもっと違う選手のファンになっていくかもしれないし、バレーボールという競技にもっとハマっていくかもしれない。
ずっと、ずっと、彼ら2人のファンのままかもしれない。


でもね、それでいいじゃない。
会場に来る1万人近くの人が同じコアなファンには絶対にならないはず。


そりゃ、まだまだ、応援も初心者だもの。
行きすぎちゃうこともあるかもしれない。
まちがっちゃうことも。


私から見たら、あの会場を埋め尽くす同じ応援を繰り返す人だって、気持ち悪かった。
お気に入りの選手が出てきて、キャーキャー騒ぐのと、サーブの時に「そーれ」と合わない掛け声をかけるのと、私はどっちも好きじゃないよ。

それは見る人の視点によって違うだけ。

まだ、みんな入り口にたっただけ。
ものすごいオーラに惹かれて、現地にたどり着いて、ここから始まるんだよ。
私は現地観戦に行ってよかったと思っている。
ふたり以外の魅力的な選手も見つけたし、バレーボールの面白さもちょっとだけわかるようになった。
海外の対戦も見て、日本の選手にない魅力を見つけたりもした。
きっと、これから足繁く現地に通うことになると思う。

でもね、ゆるぎなく、やっぱり、石川くんと柳田くんが放つオーラに惹きつけられるんだよ。
実力が伴ってないという人がいるのだろう。
それが事実なのかどうかは私にはどうでもいい。
人の魅力ってそういうものだと私は思う。

彼らが輝いている時間を長く見ていたいから、怪我を押してコートに立つことには疑問がある。
休んでほしいとも思う。
そうならない理由が何かを憶測しても私には何もできないから。
ただ、その瞬間を待ち続ける。
また、コートの上で輝く姿を見たいから。

じっくりいろんなことをこれから知ればいい。
少なくとも私はそうする。

人気が出て、ダメになる選手もいるのかもしれない。
もっと他の選手を取り上げろと思う人もいるのかもしれない。
「客寄せパンダ」になっていると思う人もいるのかもしれない。

だれよりもそんなことがわかってて選手は結果を出そうとしてるんじゃないのかな?
そういう前向きな気持ちが、また人を惹きつけていくのだろうと思う。


それと。
組織が抱える問題は別よ。
それはなんとかしなきゃいけない問題なのだと思う。
これからそれをちゃんと知りたいとも思う。

これがニワカファンの真実です。
応援の仕方に正しさなんてないよ。
それはどんな競技でも。

新しく惹かれる競技ができるたびに、私はこんな思いをする羽目になるんだろうか?

【雑感】スポーツ観戦に正しい姿はあるのか?  - True or False- その1

(話が重くなりすぎてきたので、一旦、横道に逸れてみることにした。それなのに、長文w)

 

ここにもいるのか、と深いため息をつきたくなる。

散々、フィギュアで繰り広げらえた光景をもう一度、目の当たりにする、まるでデジャブのよう。

 

ニワカファンが嫌い。

顔ファンが嫌い。

会場に来るな、か。

どうしてそういうことを平気で言えるのか、私には全く理解できません。

 

スポーツ観戦ってそんなに高尚なものですか?

ルールや、そのスポーツの世界の背景や、戦術や、対戦相手の詳細まで知らないと応援できないもの?

 

私がたぶん、初めてスポーツ観戦をしたのは親に連れて行かれた野球。

連れて行かれたから、正直、面白さなんてわかんなかったよ。

早く帰りたくて仕方なかった。

 

自らの意志で初めてみたスポーツ観戦は高校生の時、好きな人がスポーツをしてたから。

競技への興味なんて、全くなかったけど、彼がその競技に向かう姿を見て一生懸命、応援した。

 

お金を払ってスポーツ観戦をしたのは、たぶん、サッカー日本代表の試合だったと思う。

その時も、選手も半分くらいしかわからないかったし、サッカーの戦術なんてそれほど詳しくなかったけども、日本に点が入った時、全く知らない周りの人たちとハグしたりして、すっごく楽しかった。

そのおかげで何度か、代表の試合を見に行った。

最後までサッカーのことに詳しくはならなかったけど、楽しかったな~という思い出しかない。

 

たぶん、今の私がもっともたくさん観戦をしたのは、カーリング

それは自分がやっているから。

自分が参加するオープン大会で、他のチームの試合を見たり、日本選手権や、代表決定戦や、地方の予選大会。

そしてテレビで放映された世界選手権やオリンピック。

ときどき放映されるネット中継。

私が試合を見る時は、この戦術はどうなんだろう。このショットの選択はどうなんだろう。自分がスキップだったら何を選ぶだろう、と思いながら見ている。

それと同じ見方を競技者でもない一般の人に強要する気はない。

だって、それはあくまでも、競技者目線だから。

 

置かれている立場によって、ものの見方は違くていいと私は思う。

 

フィギュアを現地観戦したくなったのは羽生結弦の演技を生で見たいと思ったから。

生で見たら、自分の想像を超えた世界がそこにあった。

あまりの衝撃に言葉がなかった。

250秒と430秒の濃密な世界の虜になった。

好きな選手も増えたし、シングルだけでなく、ダンスの世界にも興味を持ち始めた。

 

でも、今も、自分にとっては羽生結弦の演技は格別。

彼がリンクを降りたら、多分、現地には足を運ばない。

それは羽生結弦がイケメン(なのかどうかはわかんないけど)だからじゃない。

確かに綺麗な顔だなとか、一体、何頭身だよ、オイとか思うけれど。

彼の美しい所作に見とれたことは何度もある。

 

彼の演技に惹かれ、彼の人となりに惹かれ、この少年が世界を手にする瞬間を見たいと思ったから。

 

もちろん、おかしなファンがたくさんいることも知っている。

いい年をしたおばちゃんが、ホテルに押しかけたり、移動のバスを追いかけたり、

試合前だというのに凸したり、海外遠征まで言っても、羽生くんの演技しか見なかったり。

 

そういう人を見ると残念な気持ちにはなるし、時にはイラついて、悪態つくこともあるけども、

私には彼女たちの応援が間違っているとは言えないという結論にたどり着いた。

そう、どういう風に応援するかは、その人の自由だと思うから。

 

それにね、応援している人はイケメンだから、彼を見にきてるんじゃないと私は知っている。

ただのイケメンなら世の中にはもっとたくさんいて、もっと安いコストで追いかけられるイケメンもいる。

そう顔だけでいいなら、芸能人でいい。

 

少なくとも彼女たちも私と同じように彼の演技に何かを感じるから、ショーや競技をお金や時間をかけて見に来ているのだと思う。

(その上に、自分のことを認識してもらいたいという面倒くさい感情がついてくるだけで)

コアなファンからしたら全カテゴリの選手を応援しないとかか、リスペクトしないことを許せないという見方になるのかもしれないけど。

 

それに誰かオンリーのファンが真性ファンに化けることもある。

自分がスケオタか?にはあまり自信はないけれど、国内外のジュニアカテゴリから、シニアカテゴリまで多くの選手がわかるようになったし、ジャンプが見分けられるようになったり、採点の意味が理解できたり、時間とともに成熟してきたのかもしれない。

 

それでもやっぱり私は羽生結弦が見たくて会場に足を運ぶ。

それを自分で否定するつもりはない。

スター選手にはそういう人を惹きつけて離さないオーラがある。

それは競技の魅力とは別の魅力。

 

それを否定したって始まらないんだよ、と思っていた。

 

そして、私が見つけた次のスター選手はバレーボールの選手だった。

 

 つづく

(おかしいな、息抜きに書き始めたのに、おわらないぞ。)

■夢をこの手につかむまで その5

第5戦
崖っぷちのオーストラリア戦。


最後まで見るのが一番つらい、試合だった。
途中で、もう、諦めていいよと心の声が飛びだしそうだった。


怪我で出れなくなった柳田くんの分も頑張ろうと石川くんは思ったのかもしれない。
でも、イラン戦の後半ぐらいからなんとなく、足がもたつくいやな感じがしてて、このままではやばいんじゃないかという予感があった。
でも、まだリオへの可能性の残っているこの状態で、彼をベンチに下げるという判断は監督にはできなかったのだろう。


バレーボールの試合を見ているのに、私はフィギュアの中国杯のことを思い出していた。


羽生結弦が怪我の瞬間も、包帯を頭に巻いて、リンクに飛び出していく姿も目の前で見ていた。
アスリートはああいう場面でも、自分から自分の居場所を簡単に放棄はしない。
私は6分間練習をリンクサイドで見ながら、「今日はもう、やめよう」と声がでちゃったりもしたけど、彼は必死でその日の自分にできる演技を探してジャンプの変更、スピンの変更など、その場で、プログラムを練り直して演技に挑んできた。

あの、鬼気迫る演技は私の記憶に一生残り続けるだろう。

素晴らしい演技は昨シーズンもたくさんあったし、これからもまだ見せてもらえるだろうけれど、あんな演技は二度と見れないと思ったし、それでいいと思っていた。

その状況をテレビがどう伝えたのか、私は現地に行っていたから分からない。
私は「馬鹿だわ、コイツ」ってどこかで思っていた。
彼の選手生命を削るのかもしれないという漠然とした不安もそこにはあった。
けれど、彼の今までの選択を知っていたから、不思議はなかったし、所詮、観客席に座ったファンがどれだけやきもきしたって、選択は変わらないのだ、という覚悟を教えられた気がしていた。


まさか、このOQTで同じような気持ちにさせられるとは。


笑顔がさわやかな石川くんだったけれど、試合を追うごとに、表情は厳しくなる。
ワールドカップの時は、バレーを楽しんでいるように見えたけど、今回は鬼気迫るというか、気迫をまとう感じになってきたな、と感じていた。

石川くんがジャンプから着地した時に崩れ落ちた姿を見て、私は息を飲んだ。
エースとして攻め込まれながらも、必死でボールを取り、点を積み重ねていた。
攻めたサーブでのミスはあったけれども、数字を見ても、彼がこのチームを引っ張ろうとしていたことは明白だった。

研ぎ澄まされた刃のように鋭い視線。
彼には前しかもう見えてないんだろうな、という感じだった。

床に崩れ落ちた彼を見てもう、足が持たないんじゃないかとどこかで確信していた。
メンバーチェンジでベンチに下がった彼が処置して戻ってきたとき、手にメンバーチェンジのためのカードを握りしめていたのを見たときは、息が止まるかと思うくらい驚いた。

「ああ、この子も、か」と。

いいことだなんて、まったく思わないし、それが美談だなんて思いもしない。
若干20歳が自分の選手生命をかけるシーンなのか?と大人は思う。
だけど、戦いきると決めてるんだな、という強い意志が体から、目から溢れだしていた。

ああ、男の子だな、と。

誰かが舞台から引きずりおろすまで降りてこない。
身体が思いのほか、言うことをきかなかったことで、彼は諦めるしかなかったのだろうけれど。
もし、我慢が出来て、動いてしまったら、やりきってしまったのだろう、とふと。

でも、この日、私の心を揺さぶったのは柳田くんの覚悟だった。
石川くんがコートから去って、彼が戻ってくる姿なんてまったく想像になかったから。

「ああ、この子もなのね」ですよ、もう。


ピンチサーバで出てきたときからオーラがね、もう、恐ろしかった。
俺がなんとかする、って思ったのかもしれないね。
次のセットからコートに戻ってきた彼を見て、私ね、泣きそうだったんだよ。


もう、頑張らなくていい、って。思った。
覚悟が伝わる戦い方だった。

私たち、ファンにとってはOQTが終わって、彼らがオリンピックにいけなくなったとしても、何らかの喪失感はあるかもしれないけれど、私たちの人生を変えたりはしない。

(何日かは眠れなかったり、食事がのどを通らないかもしれないけど)

でも、彼らにとってこの舞台は二度とやってこないかもしれない、彼らの人生のかかった場所なんだよね。
失敗したから、怪我したから、苦しいから、と言って逃げられない場所。
そして負けたら、大きな、大きなものを失うことは本人たちが一番、分かっていたはず。
「コートの上が人生そのもの」なんだろうな、と私は納得するしかなかった。

人生そのものを簡単に放りだせる人はそうはいない。


なんとかセットを取って、望みをつないで欲しいと思う反面。
早くこの試合が終わって欲しいという矛盾した二つの気持ちと葛藤していた。
リオへの切符が断たれた瞬間。
ものすごく残念な気持ちと、終わってくれたという安堵感が混じった複雑な思いだった。

日本がチームを作り上げていく上で、戦略的に負けていたということをこの試合が痛感させてくれた。
石川くん、柳田くんがベンチに下がることができないチームだったんだと。
ほかにもたくさん選手はいたのに。

使えなかったのか、使わなかったのかは私にはわからない。
監督の意図がどこにあったのかも分からない。

だけど、選手の努力とは関係ないところでも、歯車が上手く回ってないことはイラン戦も含めて、見え隠れしていてた。
強い相手に向かっていくのに歯車がかみ合わなければ、勝ちぬくことは厳しい。
あと、2戦、このチームはどう戦うのだろうかと、コートサイドで動けなくなっている選手の映像を見ながらぼんやりと考えていた。

勝った理由が分からないことがあっても、負けにはちゃんと理由があると言っていた人がいた。今の私にはそれは分からない。
そう、まだ戦略的なことを語ったり、本質に近づけるほど、バレーボールを知らないなと分かっている。


これから、もっともっと、知りたいと思っていた。

 

つづく

 

■夢をこの手につかむまで その4

4
運命のイラン戦。

この試合でほとんどこのOQTの行方が決まると思っていた。
だから現地で見たかった。

コートサイドの端っこの方で静かに見守った。

イランは強かった。
いや、日本が弱かったのかもしれない。

ギリギリまで追いつめたように見えて、大事なポイントが取りきれない場面が続く。
昨日と同じでセットの後半で粘り切れない。
その上、柳田くんの怪我。
サーブで何度も日本を救った男。
そのメンタルの強さに何度も驚愕した。

ギリギリの場面で、あのサーブを打てることがポテンシャルそのものだと私は思っている。
確かに足らないものはたくさんあるかもしれないけれど、これができる彼に期待がかかるのも仕方のないことだな、と私は素直に思っていた。

連戦で、しかも勝てないからモチベーションを強く保つのが厳しくなる。
毎日そんな戦いをしている彼らを尊敬こそすれ、叩く気にはなれなかった。

初めから分かっていたじゃない?
女子よりははるかに厳しい戦いになること。
オリンピックにいける可能性が高くはないこと。

でも、ワールドカップであの活躍を見せてくれたチームだから、きっともう一度、夢を見させてくれるとどこかで勝手に思い込んでいた。
彼らは必死でリオの切符を取りに行こうとしていたと私には見えた。

気迫が足りないとか、ボールへの執着心がなかったというような人もいたけれど、そうは見えなかった。
満身創痍になりながら、砂のように手のひらからこぼれ落ちていくリオへの可能性を救いあげようと必死だったようにしか見えなかった。


思いが強ければ勝てるなんていうのは妄想。
それを羽生結弦は「スポーツは残酷だ」と言っていた。
努力や思いが報われる時ばかりじゃない。

いろんなスポーツを見て、応援していれば分かること。
ラッキーなチャンスはやってくるかもしれないけど、それをとりきれるか、は今まで積み上げてきたものがすべて。

そう、練習でできたことが8割できたらいい。
練習でできないことは本番では奇跡でも起こらない限りできない。
勝つために必要だったものが何かなかった。
それ以外に敗因はない。

それが何だったのかを分析するのは専門家に私は任せる。
でも、このチームではリオには行けないを痛感するゲームだった。

決めるべき時に、決めるべき1点を取れない。
いいところまで行くのに、という印象はこの試合でも変わらなかった。

柳田くんは怪我をしても、ピンチサーバーで出てきていた。
彼のサーブにはそれだけの威力がある。

大丈夫なはずがない。
テーピングして、痛み止めを飲んで、それでもそのコートに立ちたいという気持ちは分かる。

自分ができることがもっとあったんじゃないか?と思いながら戦いを終えることはとても苦しいことだと思うから。
やると決めた時は怪我をしていようが、それが自分の後の人生に影響を与えることになると分かっていても、引いたりはしない。

そういうときの勢いは助言では止まらない。
「指示」とか、「命令」とか、そういう種類の言葉でしか止めることができないもの。
若い男の子にはその傾向が強い。
そういう負けん気がアスリートとして彼らをその場に連れてきたんだろうけれど。

でも、見てる方は苦しかったよ。

これ以上、怪我が悪くならなければいいのに、と思ったよ。
勝ってほしいという気持ちと同じくらい、これ以上、頑張らなくていいよ、という気持ちも湧き上がっていた。

イラン戦を落とし、もう、後がなくなった龍神日本。
私の帰りの足取りは重かった。


つづく。